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小説[図書室の眠り姫] 著・Chicachi-.

[一日目]

 図書室の南向きの窓、二十五度に設定されたエアコンの風でゆらゆらするカーテンの隙間から夏の日差しが差し込む。本を読みに来たはずの俺は、何気なくその様子を眺めていた。

柏原(かしわら)さん、何をぼーっとしてるんですか?」

後ろから思いもしない声がかかった。しかもかなり近距離で、息が首筋にかかっている。ちょっと驚いたが、俺は前を向いたままでいた。

「なんだ、華子(はなこ)、お前って本読むんだっけ?」

「読まないですよ、」

彼女は後ろに手を組み、前かがみにニコニコして、さらっと言った。ふわっとしたショートカットの黒髪が揺れた。何がそんなに楽しいのか、女にフラレたばかりだった俺は内心毒づく。ちなみにフラレたのはつい十分前で、その理由が、「何を考えているのかわからない、私を見てくれてない」だった。その感想は俺も同感で、その女が何を考えているのかなんてさっぱりだった。

「せ、ん、ぱ、い、」

耳元で囁かれ、思わず背筋がゾクっとした。

「耳元で話さなくても聞こえているワ!」

思わず激しく返したが、声量を抑えることは忘れていなかった。

「さっきからぼーっとして、聴いてくれてないじゃないですか。それに先輩、耳が弱いですからねぇ」

「強い奴なんているのか、――何しに来たんだ――」

そう言ったものの興味がない。俺は十分前のショックを引きずっている頭にムチを打つのをやめた。俺の頭は第四コーナーを回ったところで馬郡に沈んだ。いや、寧ろ馬郡から引き離されている。彼女は一人抜け出して、十四馬身は引き離している。俺はいっそのこと落馬したい気分だった。

「ちょっと、嫌そうな顔しないでくださいよ」

頬を膨らました彼女はいつの間にか目の前の席に座っている。俺は左を向いていた顔を右に向けた。北側の窓の外は誰もいなかった。

「で、何用だね、ハナコクン?」

ひじをついてあごに手をやりながら、視線を移す。

「あ、やっとこっち向きましたね!」

「で?」

俺は再び誰もいない中庭を見ようとした。彼女は眉をひそめて言った。

美子(みこ)先輩、目が真っ赤で、ふらふらしながらトイレに入ってきましたよ、さっき」

「すさんだ心に、武器は危険なんです」

「え?」

彼女の目はまんまるに見開かれ、きょとんとしてしまった。

「これを使えば、戦争は終わるんですよね?」

俺はこの場では意味をなさないであろう言葉を発していた。

「あ、それ、ヴィクトリーですね?ディーブイディーボックスが発売になった――じゃなくて、何かあったんですか?」

「――が死んじゃった――」

「――喧嘩した、とか?」

俺は呆けた顔をしていた筋肉を強張らせ、開いていたプラトン全集第四巻をパタンと閉じて、立ち上がる。

「食いに行くぞ。」

俺はまぶたをおろし、本を左手に持ち、右手は椅子を戻していた。

「え?」

彼女は再び固まったようだ。俺はかまわずに続けた。

「おごってやるって言ってるの」

無表情に言いながら、間抜け面を作り直した俺はドアに早足で向かった。

「ちょ、行きますよ、行きますって」

そのとき、入り口横のテーブルで突っ伏している女子がガタっとバランスを崩し、腕の上に置いていたオデコがテーブルに直撃していた。だが起きだす様子はない。その瞬間、興味を失った俺は歩調を早めてドアを出た。

 

 

「おいしいですよね、ここのデラックスパフェ!」

「安い名前だよな、その割に値段はそこそこする。これに八百五十円を出すだけの価値はない」

歩道に面したガラス張りの席に座っていた。俺はとりあえずアメリカンを飲み干すと行きかう車を見ていた。

「それで、ですね、先輩、――美子先輩、なんですけど――」

「あ、ニューセリケーだ、乗る奴は乗るんだな、」

俺は間髪入れず、言い出した。

「――あの、」

「俺は前のモデルが好きだったんだよな。丸い特徴的なヘッドライトとあの計算されたフォルムがいいのにな」

「わかりました、」

彼女はそれだけ言うと、パフェを黙々と食べだした。律儀に右手で容器を支えている。俺はスプーンの周期運動を見ていた。だがすぐに俺は視線を歩行者に移す。思考はストップし、焦点はどこにもあっていなかった。

「今日、暇、ですか?」

ゆっくりと紡ぎだされる控えめの声では俺をサルベージするだけの効力はなかった。自分の衝動に違和感を覚えつつも口は動いていた。

「桜木と予定がある」

俺はガラスの向こう側にある太陽の光から目を背け、雑踏の行きかう様子に集中する。

「あ、美子先輩とデートですよね、ごめんなさい」

「――、」

それには答えず注文表をつかんで立ち上がった。

 

 

 本に埋め尽くされた部屋。その半分以上は分厚い全集もので、何々全集と銘打ってあるものばかり。もっていた本は棚に格納し、俺はベッドにうつ伏せになりながら、パソコンのオーディオ用コントローラをいじった。ランダム再生で流れてきたのはチャイコフスキーの眠りの森の美女の第四楽章、パノラマだった。俺は第一楽章が流れなかったことに感謝し、寝てしまってなにもかも忘れたかったので、ゆったりした曲のなかで眠りに入ることにした。だが、次にかかったのが白鳥の湖の第五楽章だった。

「っ、ファッキン・ピーターめ!」

俺はとっさに再生をとめると意図的にロドリーゴのアランフェス協奏曲を再生した。結局眠れなかったので、次には「Fantasia para un gentilhombre」が再生されるように手早くセットした。幻想曲に包まれ、俺は眠りに落ちた。

 

 [二日目]

 起きたのは翌朝の登校ぎりぎりの時間、ゆったり着替え、鞄を取るとそのまま玄関を出る。パッシと自分で頬を叩くと自転車のかごに鞄を突っ込み、走り出そうとした。しかし、鞄からはみ出たキーホルダーが目に留まった。俺は目をしかめ、無造作にキーホルダーをはずすと溝に投げ込んだ。

 学校に着くと教室に急ぎ、そして今日も一時限目の授業が始まった。

 一日中、自分の席から動くこともなく放課後がやってきた。立ち上がるのが面倒に思えてきたので、クラスメートが動き出しても俺は固まっている。

祐樹(ゆうき)、帰んないの?」

「ん、ああ」

クラスメートの石川信也(いしかわしんや)、俺よりも身長は低いが、均整のとれた顔立ちとスタイルはなかなかの美少年だ。

「どうした、調子悪いのか?お前今日は元気ないな。」

「いや、そんなことはない」

言いながら立ち上がり、鞄を取って教室を出る。

「じゃ、」

「ああ、」

家に帰っても一人になるだけなので、俺は図書室に向かった。図書室に入って、一つ気づく。昨日と同じ席で眠り込んでいる女子がいるのだ。机に突っ伏しているその姿は昨日のそれとまったく同じだ。ずっとそのままでいるのではないのか、と疑いたくなるのは、広げて置いてある本も同じように存在しているからだ。

「失われた十年、ね」

思わずタイトルを口に出してしまった。するとタイミングのいいことに、ガタっとバランスを崩し、またもオデコが机に直撃していた。やはり、起きだす様子はない。気になったが、足をとめることはせずに、文庫本のコーナーに向かった。

 棚の前で悩むこと十分。俺はまだ決めかねていた。ここには面白そうな小説が腐るぐらいある。それこそ古書庫は異様な臭いを発していて、扉からは一種のオーラが感じられる。つまり、文字通り腐っている。

「んー、」

実のところ、本を決めかねている理由はどれも面白そうで目移りするから、ではない。

「ん、」

トントンと左肩をたたかれる感覚。俺は首を回さずに視線だけを向けた。しかし、その手の主はやり手のようだ。俺は視界に辛うじて指を確認することしかできない。だが、それだけで十分次の行動を決定できるだけの情報だった。

「ん?」

俺は相手が誰か確認すると本を選ぶ動作に戻る。

「何か用か、」

本をなぞる自分の指先を見つめながら、華子に問う。

「何、してるんですか」

彼女は泣き出しそうな声の通りの表情で見つめていた。左手は俺の肩に乗せられたままだが、右手は空を堅く握っている。彼女の息遣いが伝わってくる。軽く上下する胸。動こうものなら肌が切れてしまうような感覚に捕らわれ、俺は動けなくなった。彼女も言葉を継ごうとしない。

ガラガラと誰かが出て行く。

すると二人してそれを見送った。

「本を、選んでた」

誰かを見送ったままの状態で答える。

「うそ」

彼女はこっちを向いてぽつりと切り出した。

「先輩、本の方なんて、全然、見て――なかったですよ、」

かすれ声は深刻さを増していた。

「じゃぁ、なんだっていうの、俺、用事あるから」

あえて無愛想に答え、ドアに向かって歩き出した。

「ちょ、ちょっと、待ってください、」

 

 

トコトコと後ろを歩く靴音が耳につく。

「お前の家、あっちだろ」

帰り道となっているひっそりとした住宅地の三叉路を指差した。

「――あ、はい。」

華子はそういったものの、道と俺を交互に見ているばかりで止まったきり歩き出そうとしない。

立ち止まる理由もないはずだ。俺は、じゃぁ、とだけいうと歩いて帰るのを再開した。

「ぇ、あ、はい。」

返事はしているものの、華子が歩き出した様子はない。だが、そのまま俺は歩き続けた。

三叉路から数十メートルほどの曲がり角まで来ていた。角をまがるときに彼女のいたところを確認してみた。

「ぇ、」

まだ、彼女はそこに立っていた。こっちを見つめている。汗が頬をなでる。太陽の日差しがあまりにも強かった。俺は目をそらした。乱れた歩調をちょっと速める。蝉の声がサラウンドで俺に迫ってくる。道の真ん中に転がっていたアルミ缶をどことも知れない蝉に向かって蹴りつけようとした。しかし、俺の鋭く振りぬいた左足は缶の中心を綺麗に捕らえ過ぎていた。缶は思い描いた放物線を描くことなく脇に転がった。道の真ん中で、俺は汗だくだった。俺はチっと舌うちをして、前髪をぐちゃぐちゃにすると通りかかった黒猫の間抜けな鳴き声を合図に走り出した。

 

 

 走り出して5分ほどだった。前方に見慣れた黒い長髪の後姿があった。遠くを見て脇を走り抜けようとしたが、通り抜ける直前に見てしまった。不自然な動きを取るまいと意識した動きは走りのフォームを大きく乱し、バランスを崩した俺の体は地面に吸い込まれた。勢いでごろごろと地面を転がる。これはあまりにも痛い。もちろん受身を取った右手はジンジン痛いが、その程度のことは気にならないぐらいに痛い。さっきまで前方に位置していた人物はいつの間にか後方に位置している。

「なにやってんの、バカ」

「よぉ、」

俺の意に反して美子から話しかけてきた。返事を返しながら落としたかばんを肩にかけようとして、再び地面に落としていた。何度もやり直すがうまくいかない。俺はきっと今、迷子の子供のような顔をしているに違いない。逆に、美子は迷子の子供を見つけた母親のような表情に見えた。

「痛いんでしょ、」

「ん、」

彼女の問いの意味が理解できていなかった。彼女は俺の右腕をとった。

「っ、いてぇ」

「鞄もってあげるから、」

そういうと、拾い損ねた鞄を取り上げた。

「いいよ」

「よくない、さっきから何回落としてるか、わかってるの?」

「こっちで持つからいい」

俺は左手で鞄を奪い返そうと腕を伸ばしたが、その刹那、激痛が走った。

「ぅぐ。ありえねぇ」

「足は?」

「大丈夫だろ、」

かがんで確かめようとする彼女を俺は制した、つもりだったが、彼女はすでにひざに触れている。[以下、今後の更新をお待ちください] 


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