(セーヤ君をえさにして私を呼び出したりしたからね.その前にちょっかいもだしてたし.付き合える理由なんて,私には何もなかったよ)
セーヤはベッドの上に横になりながら,数時間前,コトネと一緒に帰っていたときに心に引っかかっていたことについて考えていた.メガネを外し,まぶたの上に腕を置いて光をシャットアウトする.目の前に見えるのは真っ暗な闇,それが次第に今日の下校時の様子を,まるで自分の目で撮っていたビデオを再生したかのように映し出してくる.
(付き合える理由なんて,何もなかった……か.どういう意味なんだろう?)
その時のコトネの顔はビデオには収められていなかった.進行方向の道路しか映されていなかったため,想像で補完するしかなかった.普段と変わらない口調であることはその音声から判断できたため,彼女の表情もいたって普通,セーヤと楽しそうにおしゃべりをしているだろうと想像できた.しかし.
(もしかして……,僕が原因?)
セーヤはビデオを一時停止して目を開けた.蛍光灯の光が差し込んできた.
(だって,そうだ.コトネちゃんは言ってた.僕の名前を利用して呼び出したり僕をいじめてたから,付き合えなかったって.これじゃあ,まるっきり僕が原因じゃないか…….僕のため? それとも,僕のせい?)
そう考えながら,セーヤはまっすぐ天井を見ていた.まっすぐ天井を見ていたのだが,不意に見知った顔がのぞき込んできて視線を遮られた.
「うわっ,ミミ! ……いたのかよ」
「いたのかよって,さっきからいたけど,……もしかして気付いてなかった?」
「うん.全然」
ミミの長い髪が重力のせいでセーヤの顔の手前にまで迫っていた.洗いたての彼女の髪からはいいにおいがしてきたが,それ以上に鼻がムズムズしてきそうでうっとうしかった.
「それで,なんか用?」
セーヤは邪魔なミミの髪を手でのけながら上半身を起こし,近くに置いておいたメガネをかけてそう言った.同時にミミも体勢を元に戻した.彼女の表情は,何か面白いことでも見聞きしたような小悪魔的な,分かりやすく言えばセーヤにちょっかいをかけてきそうな感じだった.むしろあの顔をしたときは何かしら彼に絡んでくるときだ,それもあまり良い意味ではなさそうで.
「お兄ちゃん,コッちんと何かあった?」
「……そういえばお前,コトネちゃんのこと“コッちん”って呼んでたっけ」
この町に引っ越してくる前,コトネとお隣同士だったとき,ミミはコトネのことを“コッちん”と呼んで実の姉のように慕っていた.よく「コッちん待って~」などと言ってコトネの後ろ姿をミミは笑いながら追いかけていたなと,セーヤはその呼び方を聞いて思い出した.
「なんで“コッちん”って呼んでたんだっけ?」
「なんでって……,お兄ちゃんがそう呼んでたんじゃない.お兄ちゃんは小学校に入ってからコトネちゃんって呼ぶようになったけど.……って,そんなことはいいの! ね,コッちんと何かあったの?」
と言いながらミミは,小悪魔的表情をさらに強調させて言い寄ってきた.妹相手に妙な恐怖感を感じたが所詮は妹,いつも通り軽くかわす,つもりだった.
「別に.いっしょに帰っただけで何もないよ.それも昔はいつもやってたことだから,別に物珍しくもないだろ?」
「へえ~.……じゃあ,『付き合える理由なんて何もなかった』ってどういう意味?」
意地の悪い顔をしてミミは聞いてきた.
「……もしかして,聞こえてた?」
「うん.思いっきり口に出して言ってた」
「……」
セーヤは顔をしかめた.音を付けるとしたら,“アチャ~”が一番しっくりくる.
「まあ,言いたくないならいいけどね.……でも,状況はよく分かんないけど,お兄ちゃんが原因でコッちんは誰かと付き合わなかったんでしょ.私が推理するに,それってお兄ちゃんが好きだからじゃない?」
「まさか.……好きって言っても“友達として”ってことだろ」
「分かんないよ? 今まで何年も会ってなかったんだから,その間に友達感情から恋愛感情にランクアップしてるかもしれないし.昔あれだけ仲が良かったんだから.まあ……,そうじゃなくても2人はよくいう“友達以上恋人未満”の間柄って感じ?」
「はあ? なんだよそれ」
「勘違いしないでね,今のは私の予想だから.本当かどうかは実際に聞いてみたほうが早いんじゃない? なんなら,私が聞いてあげよっか?」
そう言いながらミミは振り返ってセーヤに背を向け,「辞書借りてくね」と付け加えて部屋を出て行った.
セーヤはミミの考えに否定的ではあったものの完全に否定はせず,ちょっと気にはなった.ベッドの上に再び横になったセーヤは,白い天井にぼんやり小学生の頃のコトネの姿を見た.彼が描く彼女の顔はいつも笑っていて,笑った顔が一番印象的であることを物語った.今現在のコトネの姿は,再会してまだ日も浅いためかうっすらとしか見えなかった.
「“友達以上恋人未満”ねえ…….そんなふうに考えたことなかったなあ.……実際聞いたほうが早いっていったって,そりゃそうだけど……,聞けるわけないじゃん」
セーヤは再度メガネを外し,一時停止していたビデオを再生させた.そのまま知らず知らずのうちに眠りについた.
翌日,もちろん昨日のミミの言ったことが気になってはいたが,コトネとはいつも通りに接しようと思いながらセーヤは登校した.しかしそれは杞憂だったようで,校内でコトネと出会うことはなかった.昼休みになるまでは,だが.
四時限目の授業が終わると,いつものようにセーヤは即行で教室を抜け出して購買室へと向かった.階段は慣れたように手すりを持って一段とばしで下りていく.当初はより時間を短縮するために二段とばしで階段を下りていたが,あるとき足を踏み外して転げ落ちそうになったことがあり,それ以来どんなに急いでも階段は一段とばしで下りるようになっている.
セーヤがどんなに急いでも彼以上の強者がいるもので,彼が購買室に到着するとすでに数人の生徒がパンを取り合っていた,そんなマンガみたいなことが起きているわけはなくちゃんと並んでいた.数人なら何分と待たず消化できるのですぐにパンを購入することが出来る.
パンを買ったら後は,急ぐこともなく歩きながらいつもの場所へ行った.昼食場所の人気スポット,前庭の中でもまったく人がいない隅っこの場所へ.しかし普段は誰もいないはずのベンチに,今日は見知った二人が先に座っていた.コトネとユズカだ.
「や,セーヤ君.いらっしゃい」
「いらっしゃいって……,2人とも早いね」
よく見ると二人ともほんのりと汗をかいている.
「今日はセーヤ君より先回りしようと思ってたから.授業が終わったらユズと走ってここまで来たんだ.……教室からここまでけっこうな距離があるんだね,もうクタクタで」
「でも意外に橋野君来るの遅かったよね.だからさっき言ったのに.『そんなに急がなくてもいいんじゃない?』って.おかげでこっちまでクタクタ……」
「ハハ……,お疲れさま」
表面上はきちっと取り繕っていたが,内心かなりセーヤは気が動転していた.理由はもちろん昨日ミミが言ったことである.いつも通りにと心がけようと頭では思っているのだが,本人を目の前にしている今,どうしてもあのことが気になってしまっていた.
ボーっと突っ立っているセーヤを見てコトネは,
「セーヤ君,どうしたの? そんな所に立ってないで座ったら?」
と言ったので,セーヤは「あ,うん」とだけ言ってユズカをセーヤとコトネがはさむ形でユズカの隣に座ろうとした.が,スペースが無い.よく見ればユズカはベンチの片隅に,コトネはベンチの中央に座っている.必然的にセーヤはもう片隅に,コトネの隣に座らなければいけないわけで,セーヤは変に意識しながら彼女の隣に座った.
「セーヤ君も来たし,食べよっか」
二人は各々の弁当箱をあけた.セーヤは買ったパンの袋を開いた.緊張のせいか余計に袋を破いてしまった.
――何事もなく昼休みのまったりした時間は過ぎていく.
コトネとユズカは楽しそうにおしゃべりをしながら,初めはコトネのことを気にしていたセーヤもいつの間にか普通に会話に参加していた.二人と,特にコトネと話をしていると昔は四六時中一緒にいたせいか,最初気にしていたことなどどうでもいいことのように感じてしまう.
(あいつの言ったことさえ気にしなきゃ,昔と変わんないんだよな,僕たち)
ふと空を仰ぎ見ると,青い空にきれいにすじ雲が見えた.涼しくて心地いい初夏の風が三人の間を駆け抜けていき,周りの植物たちをリズミカルに揺らす.
「ずっと聞こうって思ってたんだけど,橋野君って,私の歌聞いたことあります?」
ユズカからの質問に,セーヤは上に向けていた視線を彼女へと向けた.ユズカも彼の方を向いていたが,手前にいるコトネに隠れて半分ほどしか見えなかった.そのコトネは下を向いてごはんを口に運んでいる.
「えっとねえ……,ゴメン,実はテレビでちょっと聞いたことがある程度なんだ」
「そうなんだ…….それじゃあ,よかったら……」
と言ってユズカはなにやらもぞもぞさせた.ポケットから何かを出して,それをセーヤにわたした.
「今度出す新曲なんです.よかったら聞いてください」
わたされたのはシングルCDだった.タイトルは“恋するトキ”.ジャケットに写っているユズカ,もといサツキは目を閉じながらやさしい笑みを浮かべていた.すぐ近くにいるサツキ,もといユズカとはちょっとちがう雰囲気を醸し出していた.セーヤはユズカとサツキを見比べてみた.
「初めてのバラードなんです.気に入ってくれるとうれしいですけど……」
「これ,僕がもらってもいいの? 今度出すっていうことは,まだ発売されてないってことでしょ」
「大丈夫.私もいつも発売前にもらうんだから,ねっ」
コトネがユズカのほうを向いて確認するように言った.
「うん」
中を開いて歌詞をざっと見てみると,タイトルから想像できるとおり恋愛ソングだった.しかしその歌詞よりも注目したのは作詞者だ.
「ん,……赤吹さんが作詞したんだ」
「正確には,ユズと私だけどね」
「えっ!?」
「別にそんなに驚かなくてもいいじゃない! ユズが手伝って言うから手伝っただけだよ.『こっちのほうが素敵じゃない?』とか」
「これは私とコトネの曲なんです.ほかの人には内緒にしてくださいね」
ユズカはジャケットで見せるような笑顔を見せつけてくれた.その顔を見ると,後日店頭に並ぶCDは如月サツキの曲であるのに対し,今持っているものは赤吹ユズカと野原コトネ,2人の曲であるように感じて,秘密にしておかないといけないなと思うのであった.
三人とも昼ごはんを食べ終わってセーヤはウトウトしていたが,その隣りで二人は談笑していた.よく話題が尽きないなと半ばあきれていた.
ふとセーヤはあることを思い出して,それを口に出してみた.
「……コッちん?」
「えっ,セーヤ君,今なんて言った!?」
コトネは驚いた顔をして彼の方を向いた.誰が見ても十割の確率でコイツびっくりしてるなと分かってしまう表情だ.
「ねえ,今“コッちん”って言ったよね? ね? ……まさかセーヤ君の口からその言葉を聞けるとは思ってもいなかったよ! セーちゃん,覚えててくれたんだ~.私はずっと忘れてなかったんだよ,小学校に入るまではずっと私のことを“コッちん”って呼んでくれてたんだよなあ.うわ~,懐かしいなあ」
コトネは彼の“コッちん”という一言にものすごく舞い上がっている.予想外のリアクションにセーヤは本当の事を言えなくなってしまった.
「こんなにテンションが高くなるなんて……」
「ハイテンションになったりもするよ,そりゃあ.小学校に入ってから突然“コッちん”って呼んでくれなくなって,私,ちょっと寂しかったんだから.……だから,久しぶりにセーちゃんの口から聞けてうれしくなったんだ.……そうそう,ユズは覚えてる? 昔私のことをなんて呼んでたか?」
「もちろん.“コーネちゃん”だよね」
「うん,“ユズちゃん”!」
二人は笑った.楽しくて,うれしくて,懐かしくて笑った.あまりにも居心地のよさそうな笑い声だったのでセーヤは邪魔かなと思い,
「それじゃ,僕はそろそろ戻るよ」
と言った.二人はもうしばらくここで昔話をしてるとかで,手を振ってくれた.彼は何も戸惑うことなく手を振りかえした.
セーヤはすっかり忘れてしまっていた.妹の余計な入れ知恵を.
前庭は今も生徒たちがなごやかに談笑していた.日の光はやわらかく,すじ雲がほんのりと水色キャンバスに白い飾りをつけている.涼しい風がみんなのほおを触れていった.
「ユズも仕事大変だね.昨日帰ってきたと思ったらこれからまた行かなきゃいけないんでしょ?」
「仕方ないよ.アレの宣伝をしないといけないから」
「……新曲を出す前って,ホント仕事が立て込むよねえ.おばさん,ちゃんと考えてスケジュール管理してるのかなあ」
ユズカとコトネは自転車をこいでいた.下校途中のことである.
「まあ,この時だけだから,キツイのは.ここさえ乗り越えればまた学校に毎日行けるようになるよ.部活も数えてみたら,まだ1週間くらいしか出てないし」
「部活か,私も何か入りたいなあ…….運動部は途中から入ると厳しいから,やっぱり文化部のどれかだなあ.……いっそのこと,私も吹奏楽部に入っちゃおうかな」
それを聞いたユズカは一呼吸入れて言った.
「ねえ,コトネ,……聞いてくれる?」
ユズカはなにかを恥ずかしがっているかのように,挙動不審な動きを見せた.コトネがまだ見たことのない仕草だった.
「あのね……,驚かないで,聞いてね?」
「うん……,なに?」
ユズカは空色キャンバスとは対照的に,顔をほのかに赤くさせていた.今までにコトネには見せたことのない,同姓でありながらも思わず抱きしめたくなるようなかわいい顔をして言った.
「私……,橋野君のこと,……好きになっちゃったかもしれない」
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