「なんですかこれ?」
「いいから,開けてください」
ユズカはなぜかせかしたので,言われるがままにそれを開けると中には一枚の便箋が入っていた.
セーちゃんへ
久しぶり! 元気してた? 突然こんな手紙をユズからもらって,びっくりしてるでしょう.
もうセーちゃんが引っ越して数えてみたら8年も経ってたんだね.今までちっとも手紙を書かなくてごめんね.
8年前のセーヤ君しか知らないから,今どうなっているのかすっごい楽しみなんだ.
っていうのもね,私も今度セーちゃんの学校に転校することになったの!
実は,私のお父さんが勤めていたところがセーちゃんのお父さんが勤めている会社とひとまとまりになるようで,
お父さんがセーちゃんのお父さんの会社に行くことになったんだ.
はじめは単身赴任をすることも考えてたんだけど,お母さんが
「ぜったいお父さんが一人暮らしするなんて無理!」って反対するから,家族みんなでそっちに行くことになったんだ.
お父さん,昔からめんどくさがりだったらしいから,お母さんはお父さんのこと心配してるんだろうね.
そういうわけだから,またセーちゃんと会えるんだ.楽しみにしてるよ.
野原コトネ
(野原コトネ? だれだっけ?)
のどまで出てきているのにどうしても出てこなかったが,“コトネ”という名前に無意識のうちに懐かしさがこみ上げてきた.
「あっ! もしかして,あのコトネちゃん? でも,どうしてコトネちゃんからの手紙を赤吹さんがもってるんです?」
本当は手紙をもらってうれしくてたまらなかったが,その意思表示を見られるのを恥ずかしく思う気持ちの方が強く,当然といえば当然の疑問を言うだけにとどまった.コトネとセーヤは幼なじみで,ユズカはあの如月サツキ,そのユズカがコトネの手紙を持っていたのだから,よく分からなかった.
「だって,私とコトネはいとこ同士なんですよ.知らなかったんですか?」
「……ええっ!!」
ユズカの衝撃的一言を聞いた耳が信じられなかった.
「……そのリアクションを見ると,知らなかった,というより忘れてるんですね.昔,お盆のときとかに一緒に遊んだことがあるんだけど」
「えっ,……あっ」
セーヤは思い出した.セーヤとコトネ,ミミともう一人,コトネのいとこの女の子と一緒にあぜ道を歩いていた情景を.最初はあやふやだった記憶の中の景色が,加速度的に鮮明に頭の中に映りこんでいった.
「わたしもコトネからこのことを聞いて,まさか橋野君があのときの子だったって知って,本当に驚きました.こういうのを運命っていうのかなって」
「そっか……,赤吹さんって,……そっか」
ユズカの言った“運命”という言葉に,セーヤは胸の鼓動がどんどん高くなっていくのを感じた.
「実は今日はそれを渡そうと思って来たんです.コトネにわたすように頼まれて.……ちょっといやなところを見られちゃったけど,今日はうれしかったです.ありがとうございます」
そういうとユズカはセーヤの元を離れていった.セーヤは右手に手紙を持って,その手紙をじっと見ていた.いろいろなことが立て続けに起こったせいで頭の中がパニックに陥ったが,昼休み終了を告げるチャイムが鳴ったとたんセーヤは我に返り,パンを口に突っ込んで急いで校舎へと走っていった.
セーヤには今日,いろいろ予想しがたい出来事が起こったので部活をする気になれなかった,というより,こんな気持ちのまま部活に出てはほかの部員に迷惑をかけると思い,セーヤはそのまま帰ろうとした.すると後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた.
「せんぱ~い! 今日部活しないんですか?」
部室から走って来たのか,フルートを持ちながらリホが息切れをしていた.
「今日は気分が悪いから帰ることにするよ.先輩にそう言っておいてくれる?」
もちろん気分が悪いというのはウソだった.しかし今の彼の心情を彼女に説明するのもめんどくさかったし,彼女のことだから言ったら「そんなことないです!」と言って無理にでも部活へと連れて行こうとするだろうから,あえてウソを言った.なんとなく彼女には悪いと思ったがそれが最良の方法だと思っていた.
「1人で大丈夫ですか?」
疑いもせずただ心配してくれるリホに対して気が引ける思いがしたが,セーヤは「大丈夫」とだけ言って,ほほえんで彼女に手を振ってそれに答えた.
セーヤは自転車をこぎ出した.こぎながらこの町へ引っ越す日のことを思い出していた.コトネと彼女の両親が,彼たちが見えなくなるまでずっと見送ってくれたあの日のことを.
(あの日は1日中泣いてたっけ…….そっか,コトネちゃんがこっちに引っ越してくるのか)
自転車を止めて,昼にユズカからもらったコトネの手紙を取り出してもう一度読んでみた.昔の思い出の中のコトネからは想像も出来ないきれいな字とかわいい便箋を見て,いろんなことを思い出し,想像した.その姿は第三者から見れば少し怪しい様子だったかもしれない.
「サツキさん,サインください!」
その頃ユズカは吹奏楽部の三年生にサイン攻めに遭い,困った様子を少しかもし出してはいたものの笑顔でサインをしていた.転校してけっこうな時間がたったが,未だに如月ブームが冷める様子はなかった.
「せっかく来たんだから何か楽器吹いてみる?」
「えっ? いいんですか? じゃあ……,トランペットを吹いてみようかな」
「へえ,サツキちゃんってトランペットに興味があるの?」
「あ,はい,少し」
先輩はユズカを連れてトランペットのところまで行った.
「あれ,今日は珍しく橋野君がいないな~」
すると近くで練習していたリホが,
「橋野先輩なら私さっき会いましたよ.なんか今日,気分が悪いとか言って帰りましたよ」
「へぇ~,珍しいこともあるもんだね.あの橋野君が部活休むなんて.明日は雪でもふるのかな? なんて.……えっと,あれ?」
先輩が後ろを振り向くとそこにユズカの姿はなかった.
ユズカはそのままダッシュで二年三組の教室まで行ったが,そこでもサイン攻めにあってしまった.しかしそこにセーヤの姿はあるはずもなかった.
(橋野君,もしかして……)
ユズカには心当たりがあった.きっとあのことだろうと思った.コトネとセーヤが直接電話で話せばよかったのだが,コトネたっての願いで手紙を渡すことになったのだ.お互いちゃんと会うまでって.それがかえってセーヤの心を不安定にさせたようだと思った.
ユズカはセーヤをとても信頼している.いやそれだけではなく,何か別の大きなものがユズカの心に湧きあがろうとしていた.
セーヤは家に帰るなり自分の部屋にこもった.
「お兄ちゃ~ん,帰ってきたの?」
返事がなかったのでミミはさらに言う.
「今から,ミツル君といってくるからね!」
「お兄さん,何も言ってないけど大丈夫なのかい?」
ミミはこっくり首を縦に振った.だてに何年も一つ屋根の下で暮らしているわけでなく,ミミにはセーヤの様子を十分に把握していた.
そのとき急に部屋のドアが開いてそこからセーヤの顔がひょっこり現れた.その顔を見ると,ミミは想像していた表情とは違っていた.何というか,とりあえず落ち込んではいない,そんな感じがした.
「いってらっしゃい」
セーヤがそういうと首を引っ込めてドアを閉めた.ミミは微笑んでミツルを連れて出かけていった.その様子を部屋の窓から見ていたセーヤはなぜかほころんだ.
三日後,学校全体を揺るがす大事件が起こった.
サツキが吹奏楽部に入ったというのであるが,何より驚いたのが吹奏楽部員.その中でもセーヤは人並み以上に驚いた.パートは先輩のたっての希望でクラリネットになった.クラリネットの人数が少なかったらしい.
この頃は少しずつではあるが如月ブームが終わろうとしていた.如月サツキがいることはもう特別なことではない,そう定着していったのである.
しかし,ユズカにとってはあまり好ましくなかった.赤吹ユズカでありたい,“如月サツキが”いることは特別ではないと思われたくなかった.そう願っているが世間ではそんな願いは無力であった.
ユズカにとって唯一,部活のときだけホッとできる時間であった.というのも,みな如月サツキというよりそれ以前の一人の女の子として接してくれている、そう感じることができたからだ.ユズカにとってたいへん幸せなことである.
部活が一緒だからだろうか,最近はセーヤとユズカは一緒に帰ることが多くなった.話すのは一方的にユズカの方で,セーヤは聞くほうに回っていたが,そのたびに,明るくなった,セーヤはユズカのことをそう思うのであった.
さらに数日ほどたったある日,セーヤが家に帰るとある一人の女性が玄関前で立っていた.携帯電話の画面を見ながらボタンをカチカチ押していた.
彼女はセーヤに気づいたのか手を振った.
「うわ~! 大人になったね,セーちゃん.って,セーちゃんって言うのもなんか恥ずかしいな」
「もしかして……,コトネちゃん?」
「もしかしてってどういう意味?」
「……そういう意味だよ」
「あははっ! それにしても久しぶりだね~.もうあれから8年たったんだね」
「そっかー,ほんとに引っ越してきたんだコトネちゃん」
「こんな大きくなったセーちゃんに“コトネちゃん”って呼ばれるのもちょっと恥ずかしいかな.でも,なつかしい……」
セーヤはドキドキしていた.セーヤの記憶にある小学低学年のコトネと,今現在彼の目の前にいるコトネとはあまりにも違いすぎて,大人になったというか一段とかわいくなって,一人の女性,そういう感じになっていたように感じた.
「ユズから話は聞いていたけど,あの泣き虫がこんなになるなんてね.ほんと信じられない」
「ハハハ,そういうコトネちゃんこそ大人っぽくなったよ.あのワンパクな頃とは比べ物にならないくらい」
「何? それでも口説いているつもり?」
頬を赤らめて言った.
「そんなんじゃないって……」
二人は玄関の前で話し込んだ.
しかし八年のブランクはあまりに大きかったが,二人はやはり幼なじみであった.そんなブランクなどまるではじめから無かったかのように二人は話し込んだ.
「でも,こう面と向かって“セーちゃん”って呼ばれると,なんか恥ずかしいな」
「そう? それじゃあ,“セーヤ君”だね」
「それじゃあ僕は……」
「“コトネちゃん”でいいよ.わたしは気にしてないから」
コトネはそういうとにっこりと笑った.その笑顔は昔見た笑顔となんら変わっていなくて,セーヤは改めて本物の“コトネちゃん”だということを実感した.
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